「米塚」美しい形、ここからの形が大好きです(^^♪
標高954mの米塚は、阿蘇の神様・健磐龍命(たけいわたつのみこと)が収穫した米を積み上げたものが山になったといわれています。山頂のへこみは火口の名残ですが、貧しい人にお米をすくってあげた跡だそうです。米塚の稜線には何やら傷らしきものがありますがこれは牧草地の境界として築かれた土手だそうで土塁(どるい)と呼ばれています。
市内では見ることがない除雪車
窓をトントン手招きしてるD様、でも寒いので娘と私は首を振ります
一人で姿を消したD様~♪ ↓ こんなのが好きだろう!?そう思って見せたかったんだそうです
実際見たほうが美しかったと思います(残念)次回どうせ・・・なんて思わないで誘ってくださいね・・。
看板があります?「なばのなき石」まん前に車が駐車されていたので、横から「パチリ」
昔、阿蘇のふもとに「なば」というあだ名の力持ちが住んでいました。泣けば泣くほど、更に強い力を発揮するという不思議な男でした。なばのお母さんが亡くなった時、葬式料理に使う「なば(茸、きのこの方言)」を採りに山に入り、「なば」が鈴なりに生えている立ち枯れの大木を見つけるや、根こそぎ引き抜いて持ち帰ったほどの力持ちです。これが「なば」というあだ名のいわれです。
ある年、鹿漬(しつけ)川に堰(せき)を造る事になり、「なば」の力は大いに役立つことに。誰も動かせないような大きな岩でも、「なば」は泣き叫びながら抱えてしまいます。そして工事が無事終り、堰の完成を祝った翌朝のことでした。堰の一部が壊れ、水がどんどん漏れているのです。一番大きな石が無くなっています。「なば」が運んできた石です。不思議な事に、元あった場所に戻っていました。その大石は小嵐山(しょうらんざん)の中腹から運んだものでした。
「なば」は首をひねりながらも、また川まで運んできますが、翌日には元の山の中腹に戻っています。「なば」は意地になり、毎日毎日泣きながら、何度も何度も運んだのですが、同じでした。最後にはとうとうあきらめ、ほかの石を使う事にして、やっと堰が完成しました。これが「なばの泣き堰」という名前の由来です。
(肥後の民話と伝説より)
またまたツララと霜柱 やっぱり娘と私は車の中・・・^m^
すすき
阿蘇市狩野の北外輪山巨大な扇、通称「扇平」
傾斜45~60度の急斜面 幅約70m縦約50mとか・・ 草刈は夏に行なわれます
今日も阿蘇の自然に出あえ、無事に家路につきました