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宇土探訪・網田焼き

 
連休の事....観光客の一家族になって、行った事のないところに行って来ました。
真っ直ぐ三角へと行く所を、網田駅から左へ曲がり山へ、網田焼き窯跡
網田焼きの里資料館へと少し戻ると、主人の樹木探しがはじまったので娘と二人車を降り
c0152779_0194547.jpg散歩~するとどこからか ”あま~い”香り? 木の葉の青々さで気がつかず通りすぎ。でも
”あま~い” 香りがすてきで振り向くとみかんの木に白い花がびっしり、まだ蕾が多く葉に隠れている、白くて、ちっちゃくて、それでいて凛として、かわいい花でした
花言葉;あなたは純潔です 花嫁の喜び 清純




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網田焼きは細川藩の御用窯として寛政4年(1792)長尾利藤太が肥前の陶工山道喜左衛門を招いて長尾窯を開いたことに始まる、以後藩の援助のもとに多いときは窯数8基を数えた。高浜焼が色絵を主としたのに対し網田焼は藍の染付けであった、茶器が中心であったが文政5年(1822)藩御用が解かれてからは雑器を焼くようになった、明治維新後は有田焼に押され最後まで残った長尾窯も明治45年(1912)に廃窯した。窯跡は山の斜面を利用した登窯で8基有るが損壊が著しい為窯の構造や規模については不明な点が多い、長尾窯は最初は2連房の平窯であったが幕末には5連房の登窯になったことが調査の結果確認されている(と看板にあり)
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この奥が資料館です藍色のすてきな網田焼が展示されていました
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この建物は網田焼きの再建に努めた宇土群御山支配役中園英之助が
天保八年(1839)12歳の時に計画し建築したものです。
建築当初はかや葺屋根でしたが後に現在のかたちの瓦葺きに増改築されました
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by rei221122 | 2008-06-06 14:06 | ドライブ | Comments(2)
Commented by taka at 2008-06-09 09:29 x
焼き物と言うと有田や小石原を思い浮かべるけど三角半島にも凄い窯が在ったのですねえ、「う~んいい窯だ・・・」(笑)
一番下の庭園はこんなのが自宅にあるとちょっといいな・・・)^o^(
Commented by rei221122 at 2008-06-10 11:58
おはようございます
庭園、趣のある庭だと思い「パチリ」こんな庭の縁側で
「爺様、お茶をどうぞ」「婆様やありがとう」
庭の四季を眺めながら穏やかな時間がもてたら~
と、思ってしまった場所でした